背骨の歪みを良くする [驚いた]

一昨日、昨日と高知に行ってきて、塩見先生の治療をしてきました。
忙しくてなかなかいけなかったのですが・・・・
塩見先生が右の腸と右の頭と背骨が曲がってきたので、
背腹運動がいいですよと言って、1日1時間半とか2時間半とかしていただいて、
合掌合蹠運動を1000回したらしいとアドバイスをしていました。
やわらかくて反応がなない背中だったのだけど、曲がっていたので、
曲がっている椎骨と硬く短くなっている脊柱起立筋の上にお灸をして、
伸びている脊柱起立筋には収縮するように補法(左回り)をしてみたら、
まっすぐになったので、ワーイこれを誰かにみせたいなあ。と思ったほどまっすぐになったけど、
立ったり座ったりしていたら、また元にもどて来ていました。一回では無理かなあと思いました。
でも今日も背骨がよく伸びていると奥さんに言われたとおっしゃっていました。

それで、私のお祈りが変わって、
光の色が白から、もうちょっと明るくなってきた話をすると、「守護霊様が変わったかもしれないね」と
おっしゃいました。

 

昨日、船井先生のホームページに掲載されました [驚いた]

昨日、4月18日月曜日更新の船井先生のホームページにのりました。
電話番号は載せていなかったので、電話は探し求めて来た人のみかかってという事で、
あまり忙しくもなりませんでしたが、ブログのアクセスが、毎日数百人だったものが、
数千人になりました、桁が一つ増えました。
やはり、内容も今最も興味があるところだったのではないかと思います。

この土日は横浜へ行ってきました。
1か月ぶりでしたが、駅も病院も暗いなあと思いました。節電のため、蛍光灯が2本が1本になったりしていました。大阪は明るいし、首都圏の人は必至で節電しているのにずるいと母に言われてしまいました。
でも、周波数が違うからしょうがないんだけど・・・・
私の母の友人(東京在住)の実家が仙台で、わかめの養殖をしているところで、
津波にあったのですが、80才前後のおばあちゃんが一緒に逃げていたけど、
このままでは、若い人が危ないと思って、自分を置いて逃げろと若い人たちを叱って、
別れたそうです。若い人は、助かって、そのおばあちゃんは津波に呑みこまれたというそうです。
すごい話ですね。残された家族の人は、おばあちゃんの決断・言葉・愛情によって生き残ったわけです。
東北の人の愛情の深さや辛抱強さには、本当に敬服します。
やっと残った人たちは、おばあちゃんの分まで十分生を味わってほしいです。
これは、究極の選択を迫られた、非常な出来事ですが、
生きるということは、先祖のこういう思いを引き受けていることだと思います。

地震と原発の故障 [驚いた]

先週の金曜日の地震、津波、原発の故障、テレビを見ていたら、涙が出てきます。
こんなことがあっていいものでしょうか。一生懸命働いたり、勉強していた人の命が一瞬で
消えてしまったのです。
それから、福島の原発、これは、恐ろしいですね。私たちはコントロールできないものを作ってしまったのです。
このことは、船井総研の船井幸雄先生はご存じだったようです。
私は去年、12月9日の船井塾(品川)の講師でお招きされていたときに、私の話の前に、
船井先生が、これから半年くらいのことを話しますとおっしゃって、
地震がくるとか、福島の原発が2つ故障するとか、株が半年は上がるとか、そんなことを仰っていました。
私は預言は興味がなし、自分の話の前だったのでノートも取らずに聞いていました。
でも、それに、これを誰かに喋って、外れたら船井先生に悪いと思って黙っていました。
でも、金曜日の地震で、あの時の船井幸雄先生の言葉をもっとしっかりと聞いておけばよかったと思った次第です。
原発のことが気がかりなので、爆発したら東京あたりまでも危ないかもしれないのですから、
船井総研の東京の会社の人をみんな熱海に呼び集めているとかはないのだろうかと、
船井先生の会社関係の方にお尋ねしてみると、東京で活動しているらしいとのことで少し安心しました。
でも、新潟の研究が好きな友人に尋ねると、1万に達すると人体に危険と言うし、
福島在住の知人に聞くと、原発の勉強会で、聞いた通りのシナリオで事がすすんでいるので
ちょっとでも、たとえ1kmでも離れようと思うと聞くと大変だと思えてきました。
私の父母は横浜にいますが、動けないので、土日に横浜に行って、
新幹線も在来線も動いていたし、私には背中に甲田先生がいるので、爆発しても私が大阪へ帰ってからだと
信じて行ってきました。
それで、家族に私の書いた字をあげて、これを肌身離さずお守りのように持っていてね。
地震や原発のこともあるからと言って、渡して帰ってきました。

それから、昇幹夫先生から、
「被災地に送りたい方は」という次のようなメールがきました。
何かしたいと思われる方は、ぜひご協力を

てんつくまんたちが、これらを直接届ける段取りができた。ラジオ、単3の6本セット、ペンライトを3点セットと書いて、〒578 0963 東大阪市新庄3-21-47 会津通商 06 4309 1880 停電だからペンライトが便利、情報がラジオでないと入らない。とりあえず、この3つをお願いします、被災地では当分、停電が続くので自分たちの状況がわからない、原発のこともわからないという状況です

著者サイン入り、裏に落書きあり [驚いた]

この頃、インターネットの本屋さんで絶版になった本で、古本で買えるようになりましたね。
甲田光雄先生の本で『マイナス栄養のすすめ』という本を三宅さんが買って、
注 著者サイン入り、裏に落書きあり 1000円 届いたら、
裏に落書きというのが私が書いたものだった。・・・とあって、
「エー甲田先生のサインのある本を売ったー、しかも、私が何か書いてある本を・・・」
その本はあんまり大切にされなくなったので、三宅先生のところに来たかったのかなあと思ったことでした。
めぐりめぐってね。
昔、甲田先生の本を買って、診察の時にサインを書いてもらって、その足で私のところへ来て
何か書いてと言ってきた人なんだろうなあと思うんですが、
他の人の本にあまりサインとかしたことないけど、昔のことなので覚えてないですけど・・・・
その私の字からは、今のように気が出てなくて、温かくないとのことでした。


アメリカのダラスの新聞 [驚いた]

月曜日にアメリカのダラスから日本人の女性の方ですが、おいでになって
お友達が小脳脊髄変性症なので、逢いにきてくださいました。
ダラスの日本人向け新聞に私のことが載っていて
こられたそうです。
アメリカの方は日本人より大食のようなので、辛抱できるかなあと思いますが、
10月にボストンへ私が行くというのを聞いて
そこへ参加したいようなので、本人が来ていただけたら、食事療法のやる気が起こるかもしれないです。
私の本の英語版が出れば、いいんですけどね。

船井総研の会社へ [驚いた]

昨日は、船井総研の本社(品川)に伺って、雑誌月刊「にんげんクラブ」の取材を受けてきました。
編集の方からメールで、取材の申込をされたときに、どこにでも取材に来てくださるとおしゃってくださったので、
土曜日のお話の後だったら、まとまった話も聞いていただけるかと思いましたが、
編集の方のスケジュールが合わなくて、次の日の日曜になりました。
大阪に来ていただいてもよかったのですが、実家が横浜なので、東京へ伺いました。
品川駅から歩いて10分くらいの所に会社があって、日曜日だったので、人は少なかったですが、
通された会議室にサンスクリット語?かなにかの般若心経が飾ってあったり、
赤い壺の大きな絵が飾ってあって、どちらも、とっても存在感があったので、
ちょっとパワーを拝見してみたくて、手をかざしてみると、すごくたくさん気が出ていたので、
反対の壁についてもまだ気を感じたほどでした。
こちらにお邪魔して、この絵やお経を見れただけでも良かったと思いました。
取材は。2時間ほどで、編集の兒玉さんは本を熟読して、下調べをしているので、
質問が上手で、私の内面などや不思議なエピソードをスルスルと引き出してくださって、
時間があっという間に過ぎました。この取材の記事が掲載されるのは
2月号だそうです。来年の1月の発行号だと思います。
会社に入る道で、雑誌月刊誌「ザ・フナイ」の編集長さんとすれ違って、
「ザ・フナイ」の方も、またよろしくお願いしますと、名刺交換をしたので、
そのうちまた、掲載されることもあるかもしれません。

映画の撮影で横浜へ [驚いた]

土日に映画の撮影で。横浜に行ってきました。
土曜日は、こちらで遅くまで仕事をしていたので、夜7時の新幹線で向かいました。
その新幹線は、急患のお客様の対応で15分遅れで新大阪についたのですが、
京都から私の隣の1A席に若い男性が乗ってきて、私は1C席でした。
一番後ろの席だったので、後ろに、スーツケースが入るくらいの隙間があったのですが
そこに、変なおじいさんが横歩きで入ってきて、隣の男性の棚に置いてあったジャケットと
長い傘でひっかけて落して、それを拾って、逃げて行ったので、
それを見ていた通路をはさんで、私の隣の女のひと1B・1Aに座っていた方が、
隣の人に、「すみませんジャケットを棚に置いていませんでしたか?変なおじいさんが
とっていきましたよ。」と教えてくださって、あわててその男性は、ジャケットを追いかけていって
取り戻して、おじいさんは「あんたのだったのか」ととぼけて、かえして逃げてしまったそうです。
それから、被害者の男性はそのことを車掌さんに話しにいかれたので、事件発生ということで
捜索開始、目撃者の女性にお話しを聞いたり、被害者の人にお話しを聞いたりと、私の周りが騒がしくなって、
京都から名古屋の間のことだったので、見つかった泥棒のおじいさんは捕まったようです。
そうしていたら、車掌さんが話が食い違うところがあって、
「泥棒のおじいさんは落ちていたのを拾っただけだ」といっているんですが・・・
すると目撃者の女性が、「そのおじいさんが傘で落として拾ったんだ」とはっきり断言していわれたので
納得されて、色々調べていると、他にも盗品を所持していたらしく、ややこしそうでした。
車掌さんが、被害者の隣の男性に、「名古屋で降りていただけませんか」といわれて、
お隣の被害者のお兄さんは「もうジャケット戻ってきたし、今夜中に戻らないといけないからできません。」と
断っていました。捜査に協力するのが市民の義務とはいえ、そこまではできませんよね。
そうしていたら、名古屋から愛知警察の人が乗り込んできて、新幹線の中で色々済ませることになったらしいです。東京へ着くまでに終わってよかったですね。
この事件で教訓になったことは、貴重品は盗まれないようにしっかり持って、
ということ。被害にあって、盗まれたものが戻っても、大変めんどくさいことになることがよくわかったからです。
甲田先生に昔、私が、私の患者さんの瓦屋さんの社長さんが、泥棒に入られて、怒りすぎて体調が悪く
なったことがあって、そういう時はどうしたらいいかとお尋ねしたら、甲田先生は、
「盗った泥棒さんの幸せを祈らせていあだくといい」とおっしゃって、私の患者さんにそのままお伝えすると、
「そんな馬鹿な」と言って余計にカッカして怒ってしまいましたが、
今回は、泥棒さんがお年寄りみたいなので、人生の晩年になって、神様に会う時が近づいているのに、
若気のいたりでというわけでもないのに、泥棒をするなんて、かわいそうな人生だなあと思って
甲田先生のご意見もありだなあと思いました。
 日曜日の午後は映画「不食の時代」の撮影で、横浜の実家の周りを歩いているところを撮ったりしました。
映画の中で、私の闘病時代、。20代の前半で、甲田医院に入院している頃の再現ドラマを作っているそうで、
そのドラマの中の私役は山田まりあさんがやってくださっているそうです。監督の話では、山田まりあさんは
大変勉強なさって、本を読んだりビデオを見たりして私に似てきたとおっしゃっていました。山田まりあさんは
腸の具合が悪い時に、断食を何回かされているそうで、芸能界でも、断食をする人がいて、
そんな人が偶然私の役をすることになるとは、やっぱり天国の甲田先生か、神様の仕業でしょうか。
甲田先生役の文学座の俳優さんも、勉強して甲田先生のビデオを見たり、本を読んだりして、
甲田先生の素晴らしさを思って、生きているうちにお会いしたかったとおしゃっているそうです。
どんな演技を見せてくだるのか楽しみです。
私の撮影後、白鳥監督が、「森さんすごくなれていますね」と一言。
テレビに10回くらいでているから、カメラ目線で動いたらNGになるとか、
自然にふるまわないとNGになるとか経験上身についてしまって・・
前のテレビの取材で、ドアを開けるということだけで3回もやり直しさせられた苦い経験が
今回の肥やしになっているのです。

偶然の一致 [驚いた]

ありがとうと感謝することなどを本に書いたり、講演をしている小林正観先生にお会いしました。
小林正観さんは、穏やかで優しそうで、面白い先生でした。
 そもそもは甲田先生の患者さんで、私のところにも通っていたYさんが、
小林正観さんの、講演会の主催をやっている方で、
私に小林正観先生の施術を依頼、私と連絡がとれて、施術の予約を取った日の翌日、
昇幹夫先生から私の携帯に℡があって、健康むらと綜合医学会の日程についての問い合わせの件だったのですが、(昇先生から電話をいただくことは、非常に珍しいことのですが)
℡を切ってから、昇先生に間違いを伝えたことが分かって、訂正のメールを送ったときに
小林正観先生の施術をすることを書いておいたら、(知人であることを存じ上げていたもので)
返信で、「昨日友人から小林正観さんが体調が悪くなったことを知りました。よろしく。」とあり、驚きました。
私のところと昇先生のところに同じ日に!天国の神様が小林正観先生を心配して、計らって下さったのかなと
感じました。
小林正観さんは1年365日のうち330日は講演で、全国を飛び回っておられて、
2年先までスケジュールがつまっているそうです。
夜は書き物などをして起きていて、朝寝て、お昼は移動、講演前に軽くおにぎりなどを食べて
夜は懇親で、ごちそうを食べているという食生活でした。
施術後、症状の改善があったようなので、多少治療効果があったとは
思いますが、今後、私のアドバイスを参考に、生活やら、食養生を改善してくださるといいのですが、
40年間、努力をしないで、感謝することだけでうまくやれてきたとおっしゃっていたので、
ちょっとすると元に戻ってしまうかもしれません。

臍下丹田(さいかたんでん)のチャクラが開いた [驚いた]

先日、9月22日に東京へ行って、4回目のスピリチュアル気功を受けてきました。
頭のてっぺん(百会)と額の真中、胸のチャクラは、すでに前回の治療で開いていましたが、
4回目は、お臍のチャクラが開きました。
チャクラが開いたと自覚できるのは、その部分が穴が開いたようになって風が吹き抜けるような
感じが起るからです。
私は鍼灸師なので、東洋医学的な気の集まるところ、丹田の下丹田(臍下3寸といわれている)なのかと
思っていましたが、お臍の下3寸というよりも、奥3寸という感じです。
座ったり、立ったりした姿勢でお臍の下3寸でなくて、寝て、お臍が上にくるような姿勢で腰椎2番・3番に向かって3寸のところではないかと思います。
胸のチャクラも、正中線上でも、両乳頭を結ぶ線上との交点でなく、少し下の、アンダーバストの位置というか
胸骨の下のあたりです。
お臍のチャクラが開いてから何か変わったことはといえば、手が光って見えたり、額のチャクラが活発に働くようになったと感じられることでした。
気の重心は、もう宇宙の中心におりていたので、今回はひたすらサムシンググレートに向かっていく段階の
ようでした。どんどんと近づいていくと、私のそばにいるだけで周りの人は癒されるようになったり、
鍼も1本打つだけで、治るようになるそうです。
それは、大変楽しみです。
それから、気功を受けた後には必ずラッキーなことがあるのですが、
次の日に船井幸雄先生にお会いして、素晴らしい出会いをしたということです。
そのことについては、また次回に。

胸のチャクラも開いた [驚いた]

三回目のスピリチュアル気功を受けて、胸椎がグーッと伸びて、胸郭が広がっていくのがわかりました。
そして、胸のハートチャクラが開いたらしく500円玉くらいの穴が開いたように感じて、風通しがよくなりスースー涼しく感じます。
そのせいか高知の塩見先生と電話でお話をしていると「声が透き通ってきれいになった」と言われました。
私は以前から、サインを書くと字から温かい気が出たり、
般若心経を読んだり、大祓いを読むと、部屋が明るくなる超能力があったのですが、
この胸のチャクラが開いたことで、声で空間を浄化する能力が上がったかもしれません。
次の日から
霊的に敏感な患者さんが部屋に入ったとたんに「明るくなった」「清々しい感じがした」
と言われました。
私は以前、俣野先生に瞑想はしてはいけないと言われていたので、ずっと避けていましたが、
たぶん、俣野先生は、私が霊的に敏感なので、瞑想中に邪霊などの悪い影響を受けておかしくなったら
それを鎮めることができることは普通の指導者にはできないと思われて、私に瞑想をしてはいけないと
言い残して逝かれたのだと思います。
 それで、スピリチュアル気功によって、宇宙の中心に気の重心が下がったので、
上級者の人が使うデジタルモードのCDを使うことができるようになり、
それを使って、瞑想モードに入ることができるようになったので
やってみました。その時に神様、自分の魂とお話ができるので、
1年前に亡くなられた甲田先生がいつも私を助けてたくさんの力をくださるので、
私は甲田先生に「こんなにたくさん力をいただいていいのでしょうか」とお尋ねすると
甲田先生は、「その代わり少食を世界の人に広めるという大きな使命があるんだよ」とおっしゃって
私は「がんばってみる」とお答えしました。そんな瞑想が終わって、
治療していると霊的に敏感な患者さんが、甲田先生の気がここに充満していて、懐かしくて涙が出てきた、
ここで甲田先生が何かしているみたいだったというので、瞑想の時の話をしたら納得されたようでした。
このように、私の変化を、周りの人が感じ取るのが不思議なことですね。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。