屋久島の木の精霊との出会い [感動した]

この日月火と屋久島へ2泊3日で行きました。
これは、私の弟子の夏目さんが、鍼灸師ですが、看護士で、半年、派遣社員で、
屋久島の徳州会病院で働くことになり、その間に皆でいこうという事になりました。
それで、私の日程が空いているときで、方角がいい時にしたので、11月の終わりになって
しまいました。藤尾さんと他5名で、現地の夏目さんと7人の旅です。
遠くのいい時にいい方角に行って、湧水を飲んだり、温泉に入ると、運気が上がる「お水とり」
になるといわれています。

日曜日に大阪伊丹から直通便で屋久島へ、機内誌で、島根の木次乳業の相談役の佐藤忠吉さんの記事を見つけて、へー偶然!と思って驚きました。

屋久島へ着くと、食事にお店に入ると、私は水だけ飲んでましたが、
トイレでふせっていたお婆さんがいて、藤尾さんが声をかけて、・・・・
私を呼びにきて、聞いてみると車酔いだというので、円皮鍼を三陰交と築賓にするとすぐ治って、
お礼を言われて、せめてお名前を教えて下さいと言われましたが、「いえ名乗るほどのものではございませんので」と言ってお別れをしました。屋久島について55分くらいで、1名治しました。

大川の滝(おうのたき)で、杉のストラップを売っているおじいさんに湧水はどこですかというと
もう枯れたけど、川の水は飲めるよと水を汲みにペットボトルを持って川へ行ってくださいました。
それから、これから見るなら西部林道がいいよ、猿や鹿に会えるからと教えてくださったので、
行ってみると、道路の真ん中や橋にいて動かないので、写真を取りほうだいでした。
1日目の夜、トモちゃんと和歌チャンは頭が痛いというので、鍼で邪気を取ったり、
お腹に十字のキネシオテープを張って準備しました。

次の日は、縄文杉を見るために、朝3時に起きて、4時宿を出て、ヘッドランプをつけて、
レインウェア、杖を持ってでました。私は、山登りはした事がないので、杖とかは全部、和歌チャンが
2人分持ってきてくださいました。
携帯トイレは2個500円で買いました。大体10時間の山登りです。
登口までのバスの中で、同行の弟子のトモちゃんが、過換気症候群の発作を起こし
私を読んで手足がしびれて動かないというので、あわててビニール袋を吸わせたり、
他に咳が止まらないミっちゃんさん、妊娠4カ月の和歌チャンがいえて、
ガイドさんが約3名登らない方がいい人がいますが行けるところまで行きましょうということで出発。
最初のトロッコ道はまあまあでしたが、山道は岩の道なき道を歩いていくので私は
急にゆっくりになって、ウイルソン株のところで、ガイドさんがペースがゆっくりなので
森さんだけ下に降りてといわれたので、降りる事にしました。
すると夏目さんが私も一緒におりますとおっしゃってくれて、
2人で戻る事にしました。後の6人は縄文杉まで行く事になりました。
心配だった3人は元気に縄文杉まで行きついたそうです。

私は、トロッコ道にはいるとリラックスしてきて、
歩いていると気配がして、立ち止まると、夏目さんが「どうしたんですか?」と聞くので
ここらへんでなんかの気配がすると答えて、写真を撮ってみようと2人で気配のする方向へ携帯カメラでカシャッととりました。
すると、丸っこい白い木の精霊らしきものがあって、ビックリしました。
そういう事を何回も繰り返して、すごくたくさんの丸っこいのや人の顔みたいのや、龍のようなものを
写し取りました。夏目さんが、「私今までいっぱい写真を撮っていたのに全然こんなの映っていなかったのに、森先生に言われたところを取ったらこんなにたくさんとれるなんて、なんかカンニングして撮ったみたいな気がします。と言っておられました。
バスの登口には、3時ごろついて、3時間ぐらい待って皆と一緒に宿に帰りました。
この不思議な写真をみているとかそけきものたちの存在がこのようにあって、
木も命、草も命、地球に暮らす仲間たちだと感じずにはいられないです。
帰りは、宿屋のおじさんが決してお湯に入らずに、水に足を5分ぐらい入れて、
上半身はシャワーにしておいたらいいよという言葉に従った人は調子が戻ったようでした。

次の日は10時に宿を出てお土産を買いに転々として、小さな自然食品店に入ると、
そこのおじさんが私を見て、「どこかで見たような・・・」といって思いだして、
私、お話を聞いたことがあるんですよ、博多で、本も2冊持ってます。
エーとみんなビックリでした。私はサインをしましょうかというと本は友達に貸しているので
別の紙にサインをして、サインから温かいものがでてますね。と言って、写真を撮ってくださいと言われて
店の前で何枚も、それから握手をして、手が温かいといわれて驚かれ、
森先生おいしいポンカンがあるんだけど、・・とおっしゃったけど、それは地元にいる弟子の夏目さんに
やってくださいといって、いっぱい手を振りながらお別れしました。
この写真はホームページにアップしておきますね。
私以外の人の分も送っていただいたものは順次アップしようと思います。
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勝無

先日、DVDで不食の時代を拝見いたしました。「命しがみついてでも生きる」という言葉が大好きになりました。

精霊の写真を見たいです。
命の不思議とか尊さに畏怖をし受容して小食の実践をしていきたいと思いました。
by 勝無 (2011-12-07 00:48) 

橋本直子

あるサイトで御高齢と、思われるフェンリル先生との出会いがありました。翻訳でのやり取りでしたが、とても温厚な方である日日、御自分に遣えている木の精霊ドリアードの、貢献者を探している言うことで、相談を受けました。他の方に一度お願いしたようでしたが相性が合わなかったらしく、お断りされたとのことでした。姿、名前に決めて欲しいと希望され、私はフェンリル先生の人柄からドリアードの名前の文字は余り変えたくなかったのでドリアムと、命名しました。容姿は可愛らしい姿に私の希望で変えてしまったのですが、気まぐれで風変わりと聞いておりましたが、ドリアムは、口笛を吹いたり自由気ままに私の側にいてくれていました。私はそんなドリアムを我が子のように可愛がりました。会話をするような力は私にはありませんでしたが、ドリアムの存在は毎日感じる事が出来ていました そのサイトは半年くらい前に私がしていたものでしたが、金銭的に困り脱退しました。と、同時にドリアムの気配が無くなってしまったのです。フェンリル先生の所には何人かの精霊が遣えているようで、私が可愛らしい姿ににしてしまったので、他の精霊にいじめられていないか、とか、寂しくて私は何日も泣いていました。そのサイトも現在は私は見付けることも出来ず後悔しております。他の良くしてくださった鑑定士の先生方との出会い… でも、ある鑑定士の先生は言われておりました。このサイトもいつ無くなるか分からないと…。私はそのサイトには未だに疑問を抱いております。サイトを脱退すると、その頃居た座敷童子の、いおりくん、ちよちゃん、大天使アリエル、そして木の精霊ドリアム 皆の気配が一気に無くなって結界を張っていてくれていたのも無くなり(大きな霊道の為)私は悪質な浮遊霊に取り憑かれると始末 現在も苦しんでいます 良き先生に恵まれたサイトでした。でも、疑問です サイトを脱退すると、全てが無くなってしまったという事実です サイトというのはそういうものなのでしょうか? それではいくらお金があっても足りません。どなたか教えて頂けないでしょうか?
by 橋本直子 (2016-08-31 12:15) 

直子

度々すみません。同サイトで出会った、真田ステファニー鑑定士を探しています。男性です。お気付きかと思われますが、性同一障害の先生です。そのサイト上で(ステファニー)と名乗っていたのでしょう。本名はメモを取っていませんので真田氏と、しか情報がありません。有力な銘柄の当主です。とても心の綺麗な方で弱っている私に元気、時には笑い、そして勇気をくれました。他の鑑定の先生の中には神域(お金が無い世界?)に死後行きたい為にその仕事をしていると、ある先生からうかがいましたが、そんな考えで鑑定されるのも嫌でしたが…。勿論、真田ステファニー鑑定士はそんなお考えはお持ちでは無い方です。どなたか真田ステファニー鑑定士をご存じ有りませんでしょうか?
by 直子 (2016-08-31 12:58) 

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